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熊谷家のよもやま話

 
祖母愛子は、家訓である「清慎事上(せいしんかみにつかえ)恭倹修身(きょうけんにみをおさめ)守祖先法(そせんのほうをまもり)仁恕人接(じんじょひとにせっす)」の清く慎ましくを絵に描いたような人でした。

私が幼い頃、祖母はいつも具のない素うどんを食べていました。不思議に思った私は「おばあちゃん、なんでねぎやかまぼこを入れないの?」と尋ねたことがあります。すると祖母は、「これが家を守るということだよ」と小さく微笑んで答えました。その一言がずっと忘れられず、なぜ美味しいものを我慢してまで家を守ってきたのかということが気になり、祖母から色々な話を聞くようになりました。

その昔、お庭で毛利のお殿様をお迎えして、薪能が行われた話。毛利様あっての熊谷家、何事にも感謝を忘れてはいけないよという話。高杉晋作や桂小五郎が、朝まで寝泊まりしお酒を酌み交わし、日本の未来について談義しては、都度お小遣いをもらって帰った話。伊藤博文に「どうしても一緒になりたい女がいる。助けてくれんか。」と言われて見受け金を持って行き、お礼に軸を書いてもらった話。絵描きさんや、他にも困った人が来たら迎え、お宿のようなことまでしていた話。

祖母が語っていたように、幕末から明治にかけては、公用のために多額の資金を納入、奇兵隊に3千両(今の3億円)を寄付するなど多くの志士たちの経済的支援をし、国事に多大な貢献をしましたが、廃藩後は、藩への貸付金(今でいう十何億もの資金)の95%はついに戻って来ず、大変苦しい時代を余儀なくされます。
先祖が凄いと思うのは、自分たちが苦しいときにも我慢し、困っている方々にお米を配るなど、数えきれない程の人助けをしてきたことです。一方で祖母は「うちが何をしたなど、自ら言うべきではない」と厳しく言い、その通りに慎ましく生きた人でした。