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熊谷家の歴史

 
熊⾕家は江⼾時代、主に問屋と⾦融・仲買を業とし、宝暦4年(1754)以降、萩藩御⽤達商⼈として、当時の古⽂書によると、藩財政の65%を任されていたそうです。
 
ちなみに御⽤達商⼈の役割はと申しますと、①藩への⽶銀の調達、②札銀の信⽤とその信⽤の確保、③藩主導の頼⺟⼦数への出資、④藩から「御預ケ銀」と託され、運⽤(廻シ⽅)利息を上納困、⑤困窮する家⾂の救済、借銀の肩代わりと返済などがあります。(詳しくは資料をご覧いただけますので、美術館にお声かけください。)
 熊⾕家は江⼾時代、主に問屋と⾦融・仲買を業とし、宝暦4年(1754)以降、萩藩御⽤達商⼈として、当時の古⽂書によると、藩財政の65%を任されていたそうです。
 
また熊⾕家は、代々「報本反始(⾃分達の存在の根源へのご恩を忘れず、本に報いる⼼がけで世の中全体へ貢献する)」の思いを胸に、広く世の中へ寄与、多くの⽅々を⽀援し続けて参りました。
 
現在の熊⾕家住宅は、当家初代の熊⾕五右衛⾨が明和5年(1768)50歳の時に新築したとされ、主屋・離れ・本蔵・宝蔵の4棟が国の重要⽂化財に指定されています。熊⾕美術館は、そのような歴史の中で継承されてきた貴重な歴史遺産を広く公開するため、9代⽬の私の祖⽗が昭和40年(1965)4⽉に開館しました。

熊谷家の庭には樹齢300年を超える大きな黒松が美しく佇んでいます。何百年という歴史を見届けてきたこの松は、永年、影向の松として讃えられ、能舞台の鏡板に描かれた老松を髣髴とさせます。

そして藩主御成りの際には、松前に舞台が張られ、能が舞われました。熊谷家には演目の記された書や当時の舞台衣装が大切に伝えられえています。また松を裏から眺めますと、枝を深く垂れ下げた姿に選定に携わられた代々の職人の方々の心意気すら感じ取ることが出来ます。「影向」には神仏が姿を現すという意味があり、影向の松は神仏が降臨すると伝えられる松です。

悠久の時の流れと共に、この影向の松の存在を実感、恩恵を受けていただけたら幸いです。